寿福寺

036

じゅふくじ


 八幡宮前から窟小路(いわやこうじ)を直進し、横須賀線踏切(扇ガ谷踏切)を越えると寿福寺がある。臨済宗で、山号は亀谷山(きこくさん)。正式には寿福金剛禅寺。鎌倉五山の第三位。本尊は籠釈迦といわれる大きな釈迦如来。その両脇にある仁王像は、もと鶴岡(鶴岡八幡宮寺)にあったもので、明治の神仏分離令のおり、ここに移された。寺域はもともと源義朝の邸宅の跡と伝えられる。治承4年(1180年)十月に鎌倉に入った頼朝は父義朝の住んでいたこの地に幕府の中心を置こうとしたが、この土地は狭く、またすでに義朝の家臣であった岡崎義実が義朝を弔う御堂を建てていたため、断念した(『吾妻鏡』治承四年十月七日条)。この土地は岡崎義実の後は、その子である土屋義清が所有したが、頼朝没後の正治二年(1200)閏二月十二日に政子の発願により、伽藍建立にいたった。開山は栄西禅師。宝治元年(1247)十一月、正嘉二年(1258)一月に火災に遭ったが、その後復興した。元亨三年(1323)の北条貞時十三年忌供養に寿福寺からは建長寺・円覚寺に次ぐ人数の僧侶が参加していることから、鎌倉時代後期にかけてかなりの規模を誇ったものと思われる。しかし、その後、南北朝・室町期には頻繁に火災や地震などの災害に遭っている。江戸時代末期には塔頭が四つほどあったが、現在は廃絶。境内は国史跡。現在、裏の墓地には三代将軍実朝の墓と伝えるやぐら(通称「えかきやぐら」)と、政子の供養塔と伝えるやぐらがある。また、その他、この墓地には、明治の外相の陸奥宗光、俳人高浜虚子、作家大仏次郎など著名人の墓が数多くある。裏山は源氏山や銭洗弁天方面へのハイキングコースが通じている。


山門

撮影日:2009年12月17日

鎌倉市扇ガ谷1丁目
(鎌倉郡扇ヶ谷村)


入口

参道

山門

参道

寿福寺の紅葉

参道

境内

仏殿

仏殿

境内墓地

境内の石塔類

北条政子の供養塔

えかきやぐら

えかきやぐら

境内のやぐら

えかきやぐら

源氏山の碑

寿福寺前の庚申塔


関連ページ



位置


より大きな地図で 鎌倉史跡・寺社データベース を表示

 
参考文献

『かまくら子ども風土記(改訂十版)』、鎌倉市教育委員会、1991年
白井永二『鎌倉辞典』、東京堂出版、1992年
奥富敬之『鎌倉史跡事典コンパクト版』、新人物往来社、1999年
(ジャパンナレッジ版)『日本歴史地名大系』、平凡社
(ジャパンナレッジ版)『国史大辞典』、吉川弘文館

LOG DATA
2011/1/4 UP
鎌倉史跡・寺社データベース

Copyright (c) Author All rights reserved.