鎌倉宮の横から二階堂川に沿って進むと二階堂の最奥部に瑞泉寺がある。臨済宗円覚寺派で山号は錦屏山(きんぺいざん)。寺のある谷は紅葉ヶ谷(もみじがやつ)である。開山は夢窓疎石(むそうそせき) で、本尊は地蔵菩薩。嘉暦2年(1327)に夢窓疎石のために二階堂道蘊(にかいどうどううん)によって建てられた「瑞泉院」に始まる。道蘊は俗名二階堂貞藤といい、鎌倉幕府の政所執事などを務めた文官御家人である。夢窓疎石は鎌倉・南北朝期の臨済僧で鎌倉の浄智寺、円覚寺に歴住した他、甲斐国 の恵林寺や京都の天龍寺を開いた。なお、恵林寺の開基も道蘊である。鎌倉幕府の滅亡後、夢窓疎石が足利氏の帰依を受けたこともあり、瑞泉寺も足利氏に保護された。貞治6年(1367)4月には鎌倉公方の足利基氏が瑞泉寺に葬られ、「瑞泉寺殿」と号された。以後は夢窓疎石の一派の関東における拠点となり、鎌倉公方との密接な関係もあり室町時代にはかなり発展したらしく、塔頭も10数宇を数えた。しかし、足利氏の衰退とともに瑞泉寺も次第に衰微し、江戸初期以降は円覚寺の塔頭黄梅院が住持を兼帯していた。また伽藍は失われ塔頭も廃絶していたという(『新編相模風土記稿』)


本堂

 現在の寺観は仏殿、地蔵堂、収蔵庫、庫裏、鐘楼、総門などである。境内は国史跡に指定。また仏殿裏手の庭園は夢窓疎石の築造と伝え国の名勝。背後の山にへん界一覧亭跡がある。へん界一覧亭では五山僧たちによって詩会が行われた。本尊の他に夢窓疎石坐像がある。また地蔵堂にある地蔵菩薩は通称「どこも苦地蔵」と呼ばれている。この地蔵菩薩には次のような話がある。この地蔵菩薩はもともと智岸寺ヶ谷にあったもので、やがて鶴岡八幡宮正覚院に安置されていた。昔ある貧しい堂守があまりにも貧しいのでどこかに逃げ出そうと考えていると夢枕に地蔵がたち「どこもく、どこもく」と言って去っていったという。堂守はこの意味を考えて八幡宮の供僧に尋ねると「どこも苦しいのは同じということ」と教えられたという。ここから「どこも苦地蔵」という名ができたと言われている。いま瑞泉寺にあるこの地蔵菩薩は市の指定文化財である。瑞泉寺の裏山にかけてはやぐらが多い。付近はハイキングコースになっており、天園および十二所、建長寺などに通じている。

 
庭園(左)と「どこもく地蔵」の堂

撮影日:2011年6月4日
鎌倉市二階堂
(鎌倉郡二階堂村)

参道 参道 総門 総門 総門
総門 参道 階段 階段
鐘楼 本堂 境内 本堂
どこもく地蔵 庭園 庭園 階段 石段

位置

参考文献

『かまくら子ども風土記(改訂十版)』、鎌倉市教育委員会、1991年
白井永二『鎌倉辞典』、東京堂出版、1992年
『鎌倉の寺』、かまくら春秋社、2001年
(ジャパンナレッジ版)『日本歴史地名大系』、平凡社

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