江ノ島電鉄の極楽寺駅を降りて、桜橋を渡ると茅葺の山門が見えてくる。鎌倉唯一の律宗の寺、真言律宗霊鷲山(れいじゅうさん) 感応院極楽寺である。前身はある老僧が深沢に草堂を建てたのもの。後に北条重時が現在の場所に移し、息子の長時(六代執権)が多宝寺の忍性を招いて開山としたといわれている。忍性はここで貧しい人の救済事業を行ったとして知られている。また忍性は極楽寺坂切通しを切り開くなど、公共事業にも尽力した。


極楽寺の山門

 開基は北条重時、開山は忍性。本尊は釈迦如来で、この釈迦如来は清涼寺式と呼ばれるものである。また本尊と本尊脇侍十大弟子、不動明王坐像は国の重要文化財。文殊菩薩坐像、忍性菩薩坐像、密教法具類(国の重要文化財)などもある。盛期は七堂伽藍および四十九の塔頭を持つ大寺院だったが、鎌倉幕府滅亡後、自然災害や火事に見舞われ、現在残っているのは本堂のみとなった。境内には忍性が薬をつくるのに使った石と伝えられるものや、千服茶臼が残っている。なお、忍性の墓は近くの稲村ガ崎小学校近くの崖にあり、墓塔は鎌倉最大の五輪塔である。

撮影日:2004年3月10日
鎌倉市極楽寺1丁目
(鎌倉郡極楽寺村)

極楽寺 山門 駅名にもなっている。 導き地蔵

位置

参考文献

『かまくら子ども風土記(改訂十版)』、鎌倉市教育委員会、1991年
白井永二『鎌倉辞典』、東京堂出版、1992年
奥富敬之『鎌倉史跡事典コンパクト版』、新人物往来社、1999年

2011/02/24 UP
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