鎌倉駅から若宮大路に向って歩くと突き当たりにある、島森書店と鎌倉生涯学習センターに挟まれた小さな寺は大巧寺である。正式には長慶山正覚院大巧寺。もと日蓮宗で妙本寺の院家(いんげ、子院のこと)、現在は単立寺院である。開山は日澄、本尊は産女霊神(うぶめれいじん)。寺史の詳細は不明だが、寺伝や『新編鎌倉志』、『新編相模国風土記稿』によると、もと十二所(梶原屋敷)にあり、真言宗の寺で、大行寺と号した。その後、頼朝がこの寺で軍評定(いくさひょうじょう)をしたところ大勝したので「大巧寺」としたという。いつ現在地に移ったのかなども不明。天文16年(1547)、北条氏康が一貫二〇〇文分を寄進、天正19年(1591)11月、徳川家康が七貫二〇〇文分を寄進している。
おんめさま
大巧寺は「おんめさま」の通称で知られる安産祈願の寺であるが、これには次のような由来がある。昔、この寺の第五世日棟上人が比企ヶ谷の祖師堂(妙本寺)に行く際、夷堂橋で難産で死んだ女(秋山勘解由の妻)の幽霊に会い、その供養をする。女の幽霊は大変感謝し、上人に謝礼として金を渡し、塔をたててこれ以後、難産で苦しむ女性を救ってほしいと頼む。上人は約束し、産女宝塔をたてて、女を祀る。これが当寺が安産祈願の寺となった起こりといわれている(『新編鎌倉志』、『新編相模国風土記稿』等)。『市史』によれば現在、この産女宝塔をはじめ寺宝は妙本寺にあるという。