大町四つ角から小町大路を海の方に向うと三浦道踏切の手前に本興寺がある。「辻の本興寺」と呼ばれる。日蓮宗で山号は法華山(ほっけさん)。本尊は三宝祖師。もと妙本寺の末寺。ここはもともと日蓮辻説法の旧跡と伝え、延元元年(1336)に天目上人がここに堂を建てたのが始まりであるという。その後、二十七世日径(にっけい)が不受不施を説いたため、徳川家康の怒りに触れ、京都六条河原で耳鼻殺ぎ(そぎ)に処されて以降、関連寺院や門弟の迫害が起こり、本興寺も廃れた。しかし、寛文10年(1670)に日逞上人(にっていしょうにん)によって再興された。
ちなみに辻とは道路が十字に交差している所を言う。『吾妻鏡』では「米町辻」などというように出てきて、中世では一般的に交差点を指すものであったと見られる。しかし、後世になりこのあたりの地名となったらしく『新編相模国風土記稿』は大町の小名(こな、小字のこと)であるとしている。日蓮の辻説法旧跡から来たのかもしれない。
本興寺