小町大路の日蓮辻説法旧跡から北に向かうと妙隆寺がある。日蓮宗で叡昌山(えいしょうざん)である。本尊は日蓮上人像。また日英、日親、千葉胤貞の像などがある。寺伝によれば開山は日英は開基は鎌倉御家人千葉常胤の子孫、千葉胤貞。至徳2年(1385)の創建。胤貞が旧地を提供し、日英を迎えたのが始まりと言われている。二世の日親上人は、室町時代の日蓮宗の僧で応永14年(1407)生まれ、上総国の出身。九州や鎌倉、京都で活動したが、将軍足利義教に建言書の『立正治国論』を提出したことで義教の怒りに触れ、捕らえられ火、水、熱湯、舌端を切られるなどの拷問を受けた上、最後には灼熱した鍋をかぶせられたが、それでも自分の意見を曲げなかったと伝えられる。このことから「鍋かむり日親」の名があり、境内にその石像がある。また迫害などに負けないように百日間水を浴びながら経を唱えたり、毎日爪を1本づつ抜き取り、出てきた血で曼荼羅を書いたり、熱湯の中に手を入れ、湯が冷めるまで経を唱えつづけたりと、さまざまな苦行をしたと伝えられていることでも有名。境内には日親が修行したといわれる池がある。総門、本堂、庫裏などがある。本堂などは最近建て替えられた。日英、日親、千葉胤貞の像などがある。境内の墓地には俳優で広島で被爆死した丸山定夫(1901〜1945)の墓がある。
本堂