「常楽寺」の交差点から東へ岩瀬の方向へ歩いていくと、途中に多聞院がある。真言宗で、山号は天衛山。正式には福寿寺多聞院という。もと手広・青蓮寺の末寺。開基は大船の甘糟氏と伝えられ、山ノ内の瓜ヶ谷にあった観蓮寺という寺が前身だという。このため現在、山ノ内の八雲神社境内にある晴明石は、かつては多聞院の所有であったという。現在地に移ってきたのは天正7年(1579)のことで、開山は南介僧都(なんかいそうず)と伝え、現在も寺には位牌が残る。本尊は多聞天(毘沙門天)で、寺号の由来となっている。他に牛頭天王の木像があり、これは山ノ内の観蓮寺の時代からあったものであるといい、鎌倉時代の作と伝える。他に寺宝として天正9年(1581)の銘を持つ高台付椀があるが、現在鎌倉国宝館に寄託中である。また、後白河・後嵯峨・光厳の各上皇の院宣が所蔵されている。隣には大船の鎮守の熊野神社がある。かつて多聞院はこの熊野神社の別当寺であった。


多聞院の境内。左側の鳥居は熊野神社
撮影日:2017年9月5日
鎌倉市大船


位置

参考文献

『かまくら子ども風土記(中)(改訂十版)』(鎌倉市教育委員会、1991年)
白井永二『鎌倉辞典』(東京堂出版、1992年)
『鎌倉の寺』、かまくら春秋社、2001年
『鎌倉古社寺辞典』(吉川弘文館、2011年)

2017/09/05 UP
▲非表示