鎌倉駅西口より今小路を直進し、横須賀線沿いに歩いていくとやぐらに似た洞窟内に層塔が祀られている。これは阿仏尼の墓と伝えられている。
 阿仏尼は和歌で有名な冷泉為相(れいぜいためすけ)の母で『十六夜日記(いざよいにっき)』の作者である。藤原定家の子、藤原為家の後妻となり為相(ためすけ)を生むが、為家の死後、先妻の子、為氏に所領を横領されたため、裁判のため鎌倉に下った。この時の日記が『十六夜日記』で阿仏尼は結局、弘安4年(1281)に鎌倉(あるいは京都)で亡くなっている。この地がその墓であるというが、阿仏尼の墓は京都にもあるのでこれは供養塔であろう。なお訴訟は結局、為相の勝訴に終わった。
 なお、阿仏尼の岩窟のほど近くには稲荷の祠が祭られている。


阿仏尼の墓と稲荷
撮影日:2011年6月4日
鎌倉市扇ガ谷
(鎌倉郡扇ヶ谷村)

隣にある稲荷大明神の祠 稲荷大明神
阿仏尼の墓

位置

参考文献

稲葉一彦『「鎌倉の碑」めぐり』、表現社、1982年
(ジャパンナレッジ版)『国史大辞典』、吉川弘文館

2011/06/21 UP
2017/05/16 CSS改修
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