高級住宅地として有名な鎌倉山は、鎌倉駅からバスに乗り、30分ほどで着く。鎌倉山は昭和4年(1929)に分譲が開始された住宅地で、腰越・深沢にまたがっている地域である。「鎌倉山」という名称自体は、万葉集の古歌にも見え、『新編鎌倉志』という江戸時代の地誌には、大臣山(鶴岡八幡宮裏山)としている。『新編相模国風土記稿』の解釈をはじめ、様々な史料を見ると、どこか特定の山のことを「鎌倉山」と称したわけではなく、鎌倉の山々、ひいては鎌倉の地全体を古く「鎌倉山」と称したようである。この地域が「鎌倉山」と称されたのは、この地を住宅地として開発した実業家の菅原通済(すがわらみちなり)による。


鎌倉山ロータリー

 バスの終点のロータリーには、関東大震災で倒壊した鶴岡八幡宮の三ノ鳥居の石柱で作られた「鎌倉山」の石碑がある。現在湘南モノレールの下を走る市道は、かつての京浜急行自動車専用道路で、これは日本で最初の自動車専用道路である。こうした利便性や相模湾を一望できる景勝地であることもあって、高級住宅地、別荘地として鎌倉山は人気の土地となり、戦前の首相、近衛文麿もこの地に別荘があった。ために、近衛文麿が首相に就任した際には、鎌倉山で提灯行列が行われたという(『鎌倉子ども風土記』)。また、爆弾三勇士(上海事変(昭和7年、1932)の際に敵の鉄条網爆破のために自爆したという3人の兵士。当時軍神と崇められた)の碑もある(現在は、民家の敷地内に移転)。なお、この碑も鶴岡八幡宮三ノ鳥居の石柱を利用したもの。


鎌倉山から稲村ケ崎に向う山から

 バス通りを下ったところに「鎌倉山記」碑、鎌倉山神社、見晴台、棟方志功板画美術館などがある。バス停「住吉」付近の大塚山には鎌倉山住吉遺跡と呼ばれる弥生時代の遺跡があったが、現在は亡失した。バス通り沿いの一帯は桜の名所として有名。また、鎌倉山からハイキングコースを経て、七里ガ浜、極楽寺、稲村ガ崎にそれぞれ下りることができる。これらのハイキングコースから眺める鎌倉の海の景色は絶景である。

撮影日:2007年3月22日
鎌倉市鎌倉山

鎌倉山ロータリー 鎌倉山の碑 「鎌倉山記」の石碑 「鎌倉山記」の石碑
  爆弾三勇士の碑

位置

参考文献

『かまくら子ども風土記(改訂十版)』、鎌倉市教育委員会、1991年

2017/01/09 UP
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