円覚寺の境内奥にあるのは黄梅院である。山号は伝衣山(でんねさん)。本尊は千手観音像。五山文学で有名な造庭で有名な夢窓疎石の塔所。疎石は建治元年(1275)生まれ、伊勢の出身である。一山一寧(いっさんいちねい)および高峰顕日(こうほうけんにち)に師事。京都南禅寺に入寺した後、鎌倉瑞泉寺を開き、元徳元年(1329)に円覚寺五十三世として入寺。後醍醐天皇や足利尊氏の帰依を受け、足利尊氏に安国寺・利生塔の建立を勧める一方、後醍醐天皇の冥福を祈る天竜寺を創建するなどした。観応二年(1351)に死去し、臨川寺に葬られたが、後の文和三年(1354)に円覚寺内にも塔所ができた。生前、夢窓国師の諡号が贈られた他、複数の諡号がある。その後は、黄梅院は夢窓派の活動拠点となり、また応安元年(1368)に足利尊氏の子、二代将軍足利義詮の遺骨を分骨したことで、さらに発展した。しかし、足利氏の外護を受けていた時代が終わると、衰微していった。本尊の他、夢窓国師像がある。
観音堂