JR大船駅から鎌倉駅行きの江ノ電バスに乗り、「常楽寺」のバス停で下りると常楽寺がある。臨済宗建長寺派で、山号は粟船山(ぞくせんさん)、本尊は阿弥陀三尊。常楽寺の前身は北条泰時が嘉禎3年(1237)に建立した粟船御堂とされている。この時の開堂供養の導師は退耕行勇(たいこうぎょうゆう)が勤めており、このため常楽寺の開山は退耕行勇となっている。また北条泰時の年忌法要が、粟船御堂で行われ(『吾妻鏡』)、宝治2年(1248)には泰時追善のために北条時頼によって銅鐘が鋳造されているように泰時と関わりの深い寺と言える。北条泰時は鎌倉幕府三代執権である。父は二代執権の義時、母は不明である。泰時は寿永2年(1183)に生まれ、幼名を金剛といった。泰時は当初、頼朝より一字をもらい頼時と名乗っていた。


山門

 泰時は和田合戦の後、建保6年(1218)、侍所別当になっているが、最初の大きな仕事となったのは承久3年(1221)の承久の乱であった。この時、泰時は父義時の命により、叔父の時房とともに東海道軍の大将軍となり、子息の時氏を連れ鎌倉を出陣し、上洛と京都制圧を果たし、承久の乱での勝利をおさめると、以降は叔父時房とともに京都にとどまり、戦後処理に努めた。泰時、時房の職務は後に六波羅探題と呼ばれる幕府の京都出先機関となった。


仏殿

 元仁元年(1224)に北条義時が急死すると、泰時・時房は京都を出発し、関東に下向する。鎌倉に到着後、泰時は北条政子より時房とともに執権に指名された。泰時は大江広元に相談の上、これを受託した。執権・連署制の始まりである。執権就任後の泰時は叔父の時房とともに幕府運営にあたった。しかし、泰時の執権就任に際には北条家内部での後継者争いが起きている(伊賀氏事件)。叔母の北条政子の努力によってこれを乗り切った泰時は翌年の嘉禄元年(1225)には御所を大蔵より宇都宮辻子(うつのみやずし)に移転、三寅を元服させ、朝廷に申請し征夷大将軍に就任させた。には鎌倉番役を整備し、従来の合議制度をさらに発展させた評定衆を置いた。しかし、泰時の特に大きな功績と言えば、貞永元年(1232)の「御成敗式目」の制定であろう。これは裁判の根拠などを示した五十一箇条からなる初の本格的な幕府法であった。また泰時は都市鎌倉の整備にも関わっており、都市鎌倉の成立にも大きく寄与した。
 承久の乱以降、ともに幕政に携わり、得宗家を支える存在であった連署の時房が仁治元年(1240)に亡くなると、次第に将軍九条頼経らと、それに結集する反得宗家勢力が少しずつ勢力を持ちはじめるようになった。泰時もその二年後の仁治三年(1242)に病になる。この年の正月に四条天皇が十二才で急死してしまう。後継の天皇には順徳天皇皇子の忠成王が候補にあがったが、いまだ存命であった後鳥羽、順徳両上皇の院政が復活することを恐れた泰時は、安達義景を京都に派遣し土御門上皇の皇子であった邦仁王(後嵯峨天皇)の即位を強行させた。これが執権泰時の最後の仕事であった。後嵯峨天皇の即位が決まった後、五月に泰時は死去する。泰時の死後、鎌倉は再び執権の後継者争いに揺れることとなる。


北条泰時の墓

 常楽寺の中世の姿はあまり明確ではない。粟船御堂が禅寺となったのは蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)の入寺後と見られる。蘭渓道隆は鎌倉時代の渡来僧で、寛元4年(1246)に博多に上陸、鎌倉に下った後、しばらくは寿福寺にいたが、泰時の孫、北条時頼によって粟船御堂へ招かれ、建長5年(1253)に建長寺へ移るまで常楽寺にいた。宝治2年(1248)には泰時追善のため、時頼によって梵鐘が鋳造されている。なお、この梵鐘の銘文に見える「常楽」が寺号の初見である。『粟船山常楽寺略記』は北条政子が娘の大姫、婿の清水義高(木曽義仲の子)の菩提を弔うために創建したと伝える。なお、この義高の墓(木曽塚)とされるものは現在、当時の裏山にある。木曽塚はもともと常楽寺西南の水田の中にあり、そのあたりは木曽免と呼ばれていたという。延宝8年(1680)に田主の石井氏が常楽寺に移したが、その際、人骨が入った青磁瓶が見つかったという。また姫宮塚なるものもあり、先述の『粟船山常楽寺略記』は大姫の墓、『鎌倉誌』は泰時娘の墓とそれぞれ伝えているが、詳細は不明である。



文殊堂

 現在は山門、仏殿、文殊堂、庫裏がある。仏殿は元禄14年(1701)の建立で県指定文化財。梵鐘は国の重要文化財。仏殿の裏には北条泰時、南浦紹明の墓がある。

撮影日:2010年10月27日
鎌倉市大船五丁目
(鎌倉郡大船村)

 常楽寺交差点 常楽寺バス停 参道 入り口 参道
参道 山門 山門 扁額 境内
   
庫裏 仏殿 仏殿 文殊堂 文殊堂
         
墓所 南浦紹明の墓  龍淵胤の墓 北条泰時の墓 北条泰時の墓 

位置

参考文献

(ジャパンナレッジ版)『日本歴史地名大系』、平凡社
(ジャパンナレッジ版)『国史大辞典』、吉川弘文館

2010/10/27 UP
2010/10/28 誤記の訂正
2010/11/25 誤記の訂正
2018/08/09 CSS化(再)
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