建長寺の裏山を勝上けん(しょうじょうけん、勝上岳=しょうじょうがたけ)というが、ここに半僧坊(はんそうぼう)と呼ばれる鎮守の社がある。明治23年(1890)に建長寺二百三十五世の霄貫道師(あおぞらかんどうし:貫道周一)が静岡奥山方広寺の半増坊を霊夢に見て、勧請し、建長寺の鎮守としたものである。
半僧坊
半僧坊の本社は静岡県引佐郡引佐町奥山(現浜松市北区引佐町)にある奥山方広寺境内にある半僧坊大権現である。この権現の由来は次の通りに伝えられている。昔、方広寺の開山無文が中国から帰る途中、暴風雨に遭ったが、半ば僧形の者に助けられた。のち奥山で再びこの半僧の者と出会い、無文の死後に半僧坊大権現として奥山に鎮守として祀られた。病気平癒や火伏せ、商売繁盛などの利益があるとされ、明治時代には信仰や講組織が急速に拡大し、かなり栄えた。奥山と鎌倉の他に名古屋、長野、横浜にも別院があった。勝上けんの半僧坊も石段際にある多くの石碑や社殿にある奉納物から往時の繁栄を知ることができる。半増坊から裏山の勝上岳には天園・覚園寺・瑞泉寺方面へのハイキングコースが通じる。社殿近くにある烏天狗の像は、戦時供出でいったん失われたが、昭和55年(1980)に新たに作られた。
半僧坊参道の入り口と烏天狗