源氏山へ向かう道の途中にあるのが銭洗弁天で親しまれている宇賀福神社である。正式には銭洗宇賀神社。次のような伝説がある。長い戦乱に苦しんでいた民を救うよう神に祈っていた頼朝の夢枕にある日、「西北の谷にきれいな泉が湧き出すところがある。その水を使い神仏を供養すれば、多くの民は信仰心を持ち、国は安らかになる」と言ったので、頼朝はさっそく社を建て、宇賀神を祭ったのが銭洗弁天の始まりだという。祭神は本宮は市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、奥宮は弁財天であるが、この弁財天の御神体は伊豆石でできた頭が人で体が蛇の像である。こういった例は円覚寺の大鐘弁財天にも見られる。純粋な仏教の神というより、神仏混交や民間信仰が入った結果と言えよう。


銭洗弁天

 後に執権北条時頼がこれを信仰して、この水でお金を洗うと、何倍にも増えるという伝承が発生し、今日の賑わいに発展している。鎌倉名数では、五名水のうちの一つで銭洗水と呼ばれる。なお、銭洗弁天はもとは扇ガ谷寿福寺隣の八坂大神(八坂神社、相馬天王)の末社であったが、昭和45年(1970)に独立した。また、銭洗弁天の東側参道トンネル上付近にやぐら群が発見され、墨書銘のある大変貴重な五輪塔や形の整ったやぐらや石塔が見つかった。

撮影日:2012年1月
鎌倉市佐助2丁目
(鎌倉郡扇ヶ谷村)

佐助稲荷方面からの登り口。この道を進むと葛原岡や化粧坂につながる。 坂の途中に銭洗弁天の入口はある。しかし、このトンネルは昭和33年(1958)に開けられたもので本来の参道ではない。 トンネル内部 トンネルを抜けるとたくさんの木の鳥居が迎える。 鳥居
境内には茶店やお土産物屋がある。 奥宮前 奥宮前から西へ向く。こちらが本来あった参道。こちらを行くと佐助稲荷の方向へ降りる。 奥宮。この洞窟の中に銭洗の水がある。鎌倉五名水に数えられている。 洞窟内
鳥居を奉納する習慣があるようだ。 お金を洗う人たち。実際には洗って、濡れたお金も鎌倉観光ですぐに使われてしまうようだ。 境内 本宮 上之水神宮
上之水神宮前から境内を見る。 池の鯉 上之水神宮。どれも岩肌に穿った岩窟の中に神体がある。 境内
上之水神宮から下る 下之水神宮 下之水神宮 下之水神宮 下之水神宮
下之水神宮 境内 七福神社
七福神社 西、佐助稲荷へ降りる参道の鳥居 手水舎
手水舎 ここから登ると葛原岡まではあと少しである。

位置

参考文献

『かまくら子ども風土記(改訂十版)』、鎌倉市教育委員会、1991年
白井永二『鎌倉辞典』、東京堂出版、1992年
奥富敬之『鎌倉史跡事典コンパクト版』、新人物往来社、1999年
吉田茂穂『鎌倉の神社』、かまくら春秋社、2002年

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